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第二回 大多喜城(千葉県)

第二回 大多喜城(千葉県)

2020/11/27

訪れた場所:大多喜城、八幡岬
訪れた時期:2020年秋

時節柄しばらく控えていた城巡りを再開した。
気持ちよく晴れた秋の日、房総の小江戸として知られる千葉県の大多喜町を訪ねた。

東京駅

東京駅からは房総の各地へ向かう列車が出ている。
特急が発着する京葉線地下ホームは、地上の東京駅からはかなり離れている。
ひと駅分は歩いただろうか。時間に余裕を見ておいてよかった。

大原駅

特急に乗って1時間ちょっとで大原駅に到着した。
大きなJRの駅に寄り添うように小さなディーゼルカーが待っている。
人気のローカル線いすみ鉄道だ。ここから房総半島の内陸を目指す。

大多喜駅

のんびりと田園風景のなかを30分ほど行くと大多喜駅に着く。
さっそく戦国武将のパネルが出迎えてくれた。
大多喜城は徳川四天王の一人、本多忠勝の居城として知られる。
駅から城までは歩いて15分ほどの道のりだ。

メキシコ通り

城へと続くこの道は「メキシコ通り」と呼ばれている。
江戸時代初め、フィリピンからメキシコに向かっていたスペイン船が近くの海岸で遭難した。
地元の人たちは乗組員を救助し、当時の大多喜城主も彼らを城に招いて歓待した。
このことから大多喜とメキシコの友好関係がいまも続いているそうだ。

御禁止川

メキシコ通りに沿って川が流れている。
ちょうど大多喜城の下に当たるこの辺りは江戸時代には御禁止川(おとめがわ)と呼ばれ、
魚を獲ることが禁じられていたという。

レプリカの甲冑

天守入り口付近に展示されているレプリカの甲冑。
以前は試着体験ができたのだが現在は感染症拡大防止のため一時中止となっている。
それにしても戦国時代の甲冑のデザインはどれも個性にあふれていて、眺めているだけでも飽きない。

大多喜城天守

推定で再建された天守。中は博物館になっている。
実際に天守がどんな姿をしていたのか、そもそも大多喜城には天守があったのか、
はっきりとは分かっていないようだ。
そんな謎もまたロマンをかき立てる。

大屋旅館

大多喜は城下町らしく古い建物がちらほら残っていて、昔の風情が感じられる。
神社の参道わきにあるこの大屋旅館はいまも現役だ。

帰途につこうと再び大原駅に戻ったが、乗り換えの電車を待っているとかすかに潮の香りがした。
駅から海岸までは少し離れている。気のせいだろうか。誘われるように海に向かっていた。

港へ向かう道

駅から20分ほど歩いただろうか、港が見えてきた。
この大原漁港を含む外房一帯は全国有数のイセエビの産地だ。

八幡岬

漁港近くの八幡岬にも立ち寄った。
階段を上った先にはその名のとおり八幡神社があり、東には太平洋、西には大原の市街地が一望できる。
ここにはかつて小浜城があったそうで、この眺望の良さを体感するとそれもうなずける。

房総半島は東京近郊にありながら魅力的なローカル線がいくつか残っていて、旅情あふれる地域だ。
今回ご紹介した外房線経由のほかに、内房線を経由して小湊鉄道で大多喜を目指してもよいだろう。
また、木更津からは久留里線が出ているので、これに乗って里見氏の居城として知られる久留里城を訪れるのも一興だ。

次回、お楽しみに。

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