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第四回 広島県の妖怪を巡る旅 稲生物怪録 前編

第四回 広島県の妖怪を巡る旅 稲生物怪録 前編

2019/12/24

 冬のひだまりがことのほか暖かく感じられるこの頃、冬のお出かけ先はもうお決まりでしょうか。今回は、広島県三次市(みよしし)を舞台にした妖怪物語、「稲生物怪録(いのうもののけろく)」について、簡単にご紹介いたします。広島には、厳島神社や尾道といった人気スポットや、焼き牡蠣やお好み焼きなどのあつあつグルメだけではなく、物語の舞台を歩いて巡れる妖怪スポットもあるのです。

雪の厳島神社
雪の厳島神社

 物語の舞台は、江戸時代中期、寛延2(1749)年の備後国三次(びんごのくにみよし)。主人公は、「稲生平太郎(いのうへいたろう)」という16歳の少年で、弟と側用人と3人で暮らしていました。いったい、彼の身に何が起きたのでしょうか。注1

肝試しも平気!勇気ある少年、平太郎

 ことの始まりは、平太郎と権八(隣人の元相撲取り)が、勝負のためにおこなった肝試しでした。5月26日、二人は真夜中に比熊山(ひぐまやま)にのぼり、「千畳敷」と呼ばれる平らな土地の古い墓石の前で、百物語注2を行ったそうです。物語が終わっても怪異は起こらず、二人は無事山を下りました。肝試しをしても全く怖がらない平太郎ですが、まさか自分が妖怪騒動に巻き込まれることになるとは、夢にも思わなかったことでしょう。

比熊山
比熊山(「三次もののけミュージアム」様ウェブサイトより)
妖怪騒動のはじまり

 肝試しから二カ月ほどたった、7月1日の夜のことです。平太郎が床についていると、庭に面した障子の向こうがぱっと明るくなりました。「火事だったら大変だ」と、慌てて外の様子を見ようとしましたが、どんなに強く引いても障子が開きません。渾身の力を込めると、障子はがたんと桟から外れてしまいました。
 やっと縁側に出てみれば、火の気配はありません。その代わり、庭の垣根ごしに平太郎を見下ろしていたのは、雲を衝くような大きな化物でした。一つしかない目が、太陽のような光を放っています。その化物が毛むくじゃらの手をのばし、平太郎をわしづかみにしたのです!
 平太郎は必死に柱にしがみつきました。化物はものすごい力で平太郎を引っ張ります。幸運にも、掴まれた着物が肩口から破れたので、平太郎は何とか化物の手から抜け出すことができました。そこで急いで刀を手に取り、「化物め、退治してやる」と縁側へ引き返しました。すると、大男の体がみるみる縮み、縁の下へぞろりと逃げ込んでしまいました。何度か刀で床板を突き刺しましたが、手ごたえはなく、やがて気配は消えてしまいました。

平太郎をつかむ一つ目の大きな化物
7月1日「平太郎をつかむ一つ目の大きな化物」
『稲生物怪録絵巻(堀田家本)』(部分)個人蔵 (三次市教育委員会寄託・提供)

 この一件で側用人はすっかり肝をつぶし、仕事を辞めて出て行ってしまいました。一緒に住んでいた弟も親戚に預けた平太郎は、屋敷で独り暮らしを始めます。親戚に何度「家を出たほうがいい」と忠告されても、「物の怪に怖気づいて逃げ出しては武士の名折れ」と、決して逃げ出さなかったそうです。
 さて、平太郎の運命はどうなってしまうのでしょうか。物語の顛末は、後編にてお楽しみください。

※本記事は、2月14日に内容を修正いたしました。

 本記事の掲載にあたり、画像提供・監修をいただきました三次市教育委員会様ならびに湯本豪一記念日本妖怪博物館様に、この場を借りて御礼申し上げます。

[脚注]
注1:本コラムでは「稲生物怪録絵巻(堀田家本)」の内容を参考に、あらすじを紹介しています。
注2:百物語は、江戸で流行した怪談会です。数人で輪になって順番に怪談を話し、百話目が終わると怪異が起きるとされています。

[Reference]
「稲生物怪録」京極夏彦訳、東雅夫編 角川ソフィア文庫 2019年
「妖怪の肖像―稲生武太夫冒険絵巻」倉本四郎 平凡社 2000年
三次もののけミュージアム 公式ウェブサイト 2019年12月24日

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