• Established 1984. Multilingual Communication Service Company

第四回 広島県の妖怪を巡る旅 稲生物怪録 前編

第四回 広島県の妖怪を巡る旅 稲生物怪録 前編

2019/12/24

 冬のひだまりがことのほか暖かく感じられるこの頃、冬のお出かけ先はもうお決まりでしょうか。今回は、広島県三次市でほんとうにあったお話、「稲生物怪録(いのうもののけろく)」について、簡単にご紹介いたします。広島には、厳島神社や尾道といった人気スポットや、焼き牡蠣やお好み焼きなどのあつあつグルメだけではなく、物語の舞台を歩いて巡れる妖怪スポットもあるのです。

雪の厳島神社
雪の厳島神社

 物語の主人公は、「稲生平太郎(いのうへいたろう)」。当時16歳の剣の達人で、弟と側用人と3人で暮らしていました。いったい、彼の身に何が起きたのでしょうか。

平太郎の運命を変えた肝試し

 ことの始まりは、平太郎と知人(相撲取りの権八)が、勝負のためにおこなった肝試しでした。二人は真夜中に比熊山(ひぐまやま)にのぼり、「たたり岩注1」と呼ばれる岩を目指しました。今でも比熊山に鎮座しているこの岩は、当時から「見るだけで吐き気がし、指差すと吐血し、触ると死ぬ」と言い伝えられ、近づいてはいけないとされていました。
 何事もなく岩にたどり着いた二人は、「何も起こらないのでは面白くない。いっそ、化け物を呼び出してしまおう」と、深夜の山中で百物語注2を行ったそうです。物語が終わっても怪異は起こらず、二人は無事山を下りました。まさかこの肝試しが、30日間に渡る妖怪騒動のきっかけになろうとは、平太郎は夢にも思わなかったことでしょう。

比熊山
比熊山(三次もののけミュージアム様ウェブサイトより)
麦倉屋敷、妖怪騒動のはじまり

 肝試しから二カ月ほどたった、7月1日注3のことです。平太郎が床についていると、庭に面した障子の向こうがぱっと明るくなりました。「火事だったら大変だ」と、慌てて外の様子を見ようとしましたが、どんなに強く引いても障子が開きません。渾身の力を込めると、枠が折れ、がたんと桟から外れてしまいました。
 やっと縁側に出てみれば、火の気配はありません。その代わり、庭の垣根ごしに平太郎を見下ろしていたのは、雲を突くような大男でした。一つしかない目が、太陽のような光を放っています。その男が毛むくじゃらの手をのばし、平太郎をわしづかみにしたのです!
 平太郎は必死に柱にしがみつきました。大男はものすごい力で平太郎を引っ張ります。幸運にも、掴まれた着物が肩口から破れたので、平太郎は何とか男の手から抜け出すことができました。そこで急いで刀を手に取り、「化け物め、退治してやる」と縁側へ引き返しました。すると、大男の体がみるみる縮み、縁の下へぞろりと逃げ込んでしまいました。
 部屋に戻れば、いつの間にか部屋中の畳があげられ、床板がむき出しになっています。床下から男が這いまわる音がするので、何度か刀で床板を突き刺しましたが、手ごたえはなく、やがて気配は消えてしまいました。

一つ目の大男と平太郎
一つ目の大男と平太郎(三次もののけミュージアム様ウェブサイトより)

 この一件で側用人はすっかり肝をつぶし、仕事を辞めて出て行ってしまいました。一緒に住んでいた弟も親戚に預けた平太郎は、麦倉屋敷注4で独り暮らしを始めます。親戚に何度「家を出たほうがいい」と忠告されても、「物の怪に怖気づいて逃げ出しては武士の名折れ」と、決して逃げ出さなかったそうです。
 さて、平太郎の運命はどうなってしまうのでしょうか。物語の顛末は、後編にてお楽しみください。

[脚注]
注1:たたり岩は、古来「神籠石(こうごいし)」と呼ばれ、信仰の対象でした。江戸時代には城主・三吉若狭の墓所とされ、人が近づけば祟りをもたらす恐ろしい岩でした。
注2:百物語は、江戸で流行した怪談会です。数人で輪になって順番に怪談を話し、百話目が終わると怪異が起きるとされています。
注3:一連の騒動が始まったのは、寛延2年(1749年)の7月1日と記録されています。
注4:稲生家には麦を貯蔵する蔵があったため、「麦倉屋敷」と呼ばれていました。

[Reference]
「稲生物怪録」京極夏彦訳、東雅夫編 角川ソフィア文庫 2019年
「妖怪の肖像―稲生武太夫冒険絵巻」倉本四郎 平凡者 2000年
三次もののけミュージアム 公式ウェブサイト 2019年12月24日

←前の記事へ

観光、文化に関する和文・英文ライティング(記事執筆)、多言語翻訳を随時受け付けております。
お問い合わせはこちら

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。