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第十一回 日本三名狸伝説を巡る旅 兵庫編

第十一回 日本三名狸伝説を巡る旅 兵庫編

2020/10/30

 秋も深まり、道行く人々の装いに、四季の移ろいを感じられる時期になりました。日本三名狸伝説を巡る旅の最後に向かうのは、日本神話ゆかりの地、兵庫県淡路島です。芸能の島としても名高い淡路島にまつわる、「芝右衛門狸(しばえもんたぬき)」の伝説をご紹介します。

淡路海峡大橋
淡路島と本州をつなぐ淡路海峡大橋
淡路で愛された芝右衛門狸

 イザナギ・イザナミの二柱の神が降り立ち、日本の島々と神々を産んだと言われる淡路島。この淡路島に暮らしていたのが、三大名狸の最後の一匹、「芝右衛門狸」です。
 芝右衛門は、三熊山(みくまやま)のてっぺんに住み、満月の夜によく腹鼓を響かせていました。時には人間に化けて、木の葉のお金で買い物をすることも。しかし、夜道に迷った旅人を案内したりもしたので、芝右衛門のことを嫌うものはなく、人々から愛されていたのだそうです。

三熊山からの眺め
三熊山(洲本城跡)からの眺め

 ある日、芝右衛門は浪速(現大阪市)の中座に芝居を見に行くことにしました。すぐに淡路島に帰るつもりが、そこで目にした華やかな芝居に、すっかり心を奪われてしまったのでした。芝右衛門は木の葉をお金に変えて懐に忍ばせ、毎日芝居に通いました。
 しかし、芝居小屋では木戸銭(見物料)に木の葉が混ざっていることに気付いていました。「これは、きっと狸が人間に化けて、芝居を見に来ているに違いない」そう思った芝居小屋の男たちは、何匹かの番犬を連れてきて、入場客を見張らせることにしました。
 そうとは知らない芝右衛門は、その日も芝居見物に向かいました。いつものように芝居を見物していると、待ち構えていた犬に正体を見破られ、逃げ切れずにかみ殺されてしまったのでした。

絵本百物語
Wikipedia 絵本百物語

 その死体は、20日あまりたつと、狸に変わったと言われています。「化けが上手な狸は、死してなお、すぐには正体を現さないのだなあ」と、人々は感心したそうです。

 一方淡路島では、芝右衛門の腹鼓が聞こえてこないことを心配していました。そこに、「浪速の芝居小屋で大きな狸が犬にかみ殺された」といううわさが流れてきました。「それはきっと芝右衛門に違いない」と、淡路の人々は口々に彼の死を惜しんだのでした。

死後、芸能の神として祭られた芝右衛門

 芝右衛門の物語は、これで終わりではありません。この騒動以来、中座の芝居小屋では、客の入りが悪くなってしまったのです。人々は、「殺された芝右衛門のたたりではないか」とうわさしました。
 そこで芝右衛門を芝居小屋に祀ったところ、客足がみるみる回復したのです。以来、芝右衛門は芸能の神として、役者たちから厚い信仰を得るようになりました。

 1962年(昭和37年)、芝右衛門はついに「里帰り」を果たします。信仰の厚い役者たちの寄進により、洲本市に芝右衛門の祠が建てられたのでした。祠は芝右衛門のすみか、三熊山頂上の洲本城跡近くにあります。芸能の神として、今なおご利益を求める芸能人の参拝が絶えないようです。

洲本城跡
洲本城跡の展望台
洲本城跡の展望台(昭和3年建造、入場不可)

 また、大阪中座に祀られていた「柴右衛門大明神(八兵衛大明神)」も2000年に里帰りし、現在は洲本八幡神社(兵庫県洲本市山手)に祀られています。芝右衛門が木の葉をお金に変えた伝説から、境内の木の葉を金運のお守りとして持ち帰る方もいるようです。

 いかがでしたか?

 淡路島では、芝右衛門の一族は「洲本八狸(すもとやだぬき)」と称され、妻のお増(おます)や息子の柴助(しばすけ)など、計八体の像が点在しています。それぞれの像に異なるご利益があるそうなので、狸との出会いを楽しみながら、淡路島をゆっくり散策してみてはいかがでしょうか。

[Reference]
洲本市街地活性化センター 八狸委員会 洲本八狸 淡路島・洲本八狸物語 8つの狸の物語 2020年10月30日
洲本城WEBガイド 2019年1月1日 洲本城の見どころ 芝右衛門狸(しばえもんだぬき)の祠 2020年10月30日
洲本八幡神社 当神社について 境内案内 柴右衛門大明神社 2020年10月30日
歴史博物館ネットミュージアム ひょうご歴史ステーション ひょうご伝説紀行―妖怪・自然の世界― 狐と狸 洲本八狸 2020年10月30日

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